人間の評価と言うのは死んだときに現れるとも言いますが。
三沢選手が亡くなってもう四日経ちますが、各界の著名人が
お悔やみを言っているのをみますと、やはり現在衰退産業の様に
言われるプロレス界に於いても、稀有な人材だったと思うわけです。
あまりファン層が被らないと言われる、どっちかと言えば他は観ない
ようなコアなファンが多い新日本プロレスでも、試合前に黙祷が行われ
すすり泣く声が多かったとか。
2ちゃんねるでは、「みっさっわっで1000まで行くと三沢さんが助かる
スレ」とか立ってまして、ひたすら「みっさっわっ」の文字列が並び、
感ずるものがありました。
かと思えば、某動画サイトにはタイトルだけみてもリスペクトの欠片
も感じられず、ああ注目を集めたいだけなんだな。っていう刺激的な
タイトルをつけた動画が並んでいたりする。
こういう時って、人間の真価も分かるし、いろんな人間の深層というか、
逆に本当の姿なのかもしれませんが、そんなものも判る気がします。
自分のときはどうなるんだろうね。
じいちゃんがなくなった平成元年の初夏。
坂の上にじいちゃんちが立ってるんですけど、坂の下までずらっと
参列の方が並んでて、
「じいちゃんって友達多かったんだな」
と子供心に思った記憶がある。
まあそこまでちびっこでもない年ですけど。
それにしても、そこまで生きてきた道というか、そういうものを評価
されていたんだな。と思うんですよね。
その結果があの人の波だったんだと思う。
どれくらい先か分かりませんけど。
僕も三沢選手や、じいちゃんみたいになれるだろうか。