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卒業。
ずっと忘れない離れてもくじけない生きていく今日から。

今日は県下高校の卒業式だったそうですね。
卒業した皆さんおめでとう。

君たちはまだ二十歳前。
前途洋洋たる海原への航海の始まりだ。

高校時代さえない三年間を、いや今まで異性と特に触れることも
なく、平々凡々と過ごしてきた諸君。

大学に入れば、社会に出れば。

飲み会なんかも増えて、コンパなんか誘ってもらって。
出会いも増えて、彼女なんか簡単に出来るんじゃね?
バラ色の青春が待ってるんじゃね?

なんて思ってるのかい?

ただ思っているだけでは、何も変わらないさ。

ただ。可能性は、確かにあるかもしれない。
自分を変えるチャンスなんだ。

特に親元を離れる君。
周囲は今までの君を知らないやつばっかりだ。

まずは動くことだ。
動かなければ、何も変わらない。
変えようと動くことだ。

かといって、スポーツも何もやったことないのに、ケンカもしたこと
ないのに、いきなり木刀を下宿に飾るような、僕の友人S君のような
マネはすべきではないと思うがね。

あとは、スタートダッシュが大事だ。

周りにおだてられて、焼酎を生でジョッキについでイッキ!とか言う、
馬鹿な飲み方をしちゃダメだ。
自分九州出身やねんな?芋焼酎ミルク代わりに飲んでたんやろ?とか
言う、悪魔のささやきに乗っちゃダメだ。

先輩がバイトしていたスナックに飲みに連れて行かれて、なんか歌え
とか言われて、アカペラで太陽戦隊サンバルカンとか歌っちゃダメだ。

あと、桃太郎電鉄とか、マリオカートとか、ウイニングイレブンとか。
部屋がたまり場になるような魅力的なゲームを所持していてはダメだ。
売れ!すぐに売れ!持って行くな!

これらをもれなく実践するとどうなるか。

このブログの右側に、「昔話」と言うカテゴリーがある。
そこを読め。読み尽くせ。

大学四年間は、やり直しが利かない。
自主的に何かをやらなければ、手付かずで終わってしまうぞ。

ガンバレ、若者達!

…っていうような話を、18歳当時の僕にしてあげたい。

カテゴリ:昔話 | 23:48 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
こういうCM。
僕が小学校高学年に差し掛かるころだった。

それまで僕らの間でキャッチーな遊びと言えば、空き地でやる野球
だった。まあクラスにO君という遊びのパイオニアがいて、彼が時折
新たな遊びをクリエイトしていたのだけど、この遊びがまあ酷くて。

・ブランコを鬼のように立ち漕ぎし、ジャンプして飛距離を競う。
すべり台でいかにズボンがずり下がるかを競う。
・シーソーの片側に立ち、逆側に何人かが飛び乗っても落ちずに耐え
られるかどうかを競う。

というね。もう一体何の荒行ですか。

特にすべり台なんか変に流行っちゃったもんだから、つかなんで流行る
要素があるのかが今は皆目理解できないのですが、皆夢中で競い合って。
すべり台を上がる時に目立たないようにズボンを緩めるヤツまで出る始末
で、台の下から「おい!ズルすんな!」とか罵声が飛んでたりしたんです
が、ある日この遊びのことばかり考えて学校に来たらしいF君が、何を
思ったのかパンツをはくのを忘れて学校に来ると言う惨事が起きまして、
しかもそのまますべり台やっちゃうもんですから、それをクラスの女子に
目撃された僕等全員、帰りの会で吊るし上げられたりしたんですけど。

パンツをはいてこなくてスイマセンでした!

とか、女子に「F君謝ってください!」と突き上げられながら、涙ながらに
謝罪しているF君の姿を思うと、今でも目頭を押さえずにはいられない。
そんな謝罪、悔やんでも悔やみきれないよ。

そんな僕らに、激しい変化が起きた。

ファミコンの普及である。

もうその変化振りといえば、多分幕末に黒船が浦賀に来た時なんかこうだった
のかなと思うぐらいで、放課後や休みともなると皆ファミコンを持っている
子の家に集合。野球とかしてる場合じゃなくなっちゃって、ファミコンを所持
する子の権力たるや、摂関政治時代の藤原家ぐらいになったのです。

そんな中でも相変わらずO君はパイオニアで、ジャングルジムから飛び降りる
だけの遊び
を開発したりしてプチブレークしたりもしたのですが、基本は
ファミコンだった。最後はO君骨折したし。



運命の日は、僕らが小学校六年生のクリスマスだった。
持ってない子は、皆サンタさんにファミコンを望んだのである。

期待に胸を膨らませて枕元を見た、12の冬。

僕のサンタさんは、SEGAMARK靴鯔佑忙って来てくれた。

…ファミコンじゃない?!

と一瞬パニックになったものだったが、一緒に付いていた「アレックスキッドの
ミラクルワールド」と言うゲームが鬼のように面白く、僕は心からサンタさんに
感謝することが出来た。

僕の周囲はと言うと、様々な悲劇が起きていた。

ファミリーベーシックが枕元においてあった、M君。

ファミコンと「ツインビー」と言うソフトをお願いしていたY君。
彼の枕元に有ったのは、ファミコンと「バンゲリングベイ」だった。
ハドソーン!ハドソーン!と叫び続けるY君の姿には、ある意味鬼神が宿っていた。

初めての親への反発、心からの悲しみ。
得体の知れない黒船の正体が、つかめず苦しむ親たち。
子供を喜ばせるはずだった、所在なさげなプレゼント。

彼らにくらべると、僕は幸せだった。
圧倒的に幸せだった。

それからと言うもの。

猛威を振るうファミコンブームの中で、僕は隠れキリシタンのごとく、SEGAを
愛し続け、メジャーに流されないこと、マイノリティにはマイノリティの良さがある
ことを、思春期の僕は親父に教えられた。

なあ、ファミコンは面白いか?

と、SEGAをプレイする僕等兄弟に、笑顔で問いかける親父。
無邪気な良心は、底抜けの悪意にもなりえる。
そういうことを、幼かった僕らはSEGAと親父から学んだんだ。

あれから四半世紀。

そんな親父と飲む。

サントリーオールド。
カテゴリ:昔話 | 23:48 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
コンドルは飛んでいく。

そろそろ、大学なんかは学園祭の時期ですね。

僕は大学に入ってからは、出会いを求めて入部した茶道部で
同期の女子が全員退部したことに禍々しい何かを感じて辞め、
その後入った柔道部もとある事情で辞め。

大学三回生のこの時期は、もうホント親に申し訳ない。
遊ぶでもなければ人脈を作るでもない。
出来得れば今から表に出て、通りすがりの見ず知らずの人にでも
謝罪したいぐらいの体たらくだったのです。

学祭なんて、行く必要もなかった。

でもですね、友人と飲んでる時に。

「サークルとか部活動って、やってないと就職活動に不利らしいで」

と言う話になりまして。

それはまずいですな。世知辛いですな。
と悩んでいたんですけど、そこにいた三人ほどで

「なら俺らでサークル作ったらええんちゃうの」

と言う結論になったんですよね。

それならば今更人間関係に悩まなくても済みますし、当時の僕らの
大学では、三回生を受け入れてくれる既存の部やサークルってなかった
んですよね。受け入れてくれても立場は微妙だったと思いますし。

で、何のサークルにします?

悩んだね。かなり悩んだ。

いつも信長の野望やってるし、KOEI研究会とかどうや?
桃鉄研究会でもええんちゃう?
いっそのことA○研究会とかどう?

とか、いろんな意見が出たんですが。

就活のためのサークルですからね。
サークル:A○研究会とか書くのは、人事の方がマニアであれば重用
される可能性もなきにしもあらずですが、変なリスクは負えません。

で。友人のA君がね、すっごいレゲエマニアだったんですよ。
当時は今ほどレゲエが市民権を得てなかったように思うんですが。
そんな中でも、ワンルームの半分ぐらいレゲエのレコードで埋まってる
ような部屋に住んでたんですよね、彼が。

そこで「ワールドミュージック研究会」なるものを立ち上げ、学祭で
レゲエバー風の展示をやろうと言う話になりました。

もう就活のためにやったようなイベントだったんですけど、スゴイお香とか
焚いて、教室にブラックライトつけまくってね。
A君がDJやってコレクションのレゲエレコードかけまくってた。
何が大変だったって、難波に住んでた彼のレコードを、ペーパードライバー
たちで大学までおっかなびっくり運ぶのが大変だったんですけど。
荒すぎるよ、大阪の運転。

なんか見にきたHITOEちゃんみたいな髪型の子が、

「うちの大学にこんなヤバイサークルあるなんて!」
とか

「是非入部したいです!」
とか、大絶賛する人が相次ぎまして。

いやいや、就活のために便宜上作ったサークルですからね。
存続されても困るのですが。

最後の方は、他の友人の趣味の「コンドルは飛んでいく」とかかけたり、
酔っ払った僕がひたすら「どんなときも」をかけ続けたりと、悪の限りを
尽くしてグダグダに終わったんですけど。

まだあんのかな。
うちの大学のワールドミュージック研究会。

僕はその意味すら知らなかったんですけどね。

カテゴリ:昔話 | 22:28 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ストロベリータイム。

朝晩は大分冷えるようになってまいりまして、これから先は
鍋が恋しくなる季節でございますな。

僕は大学、社会人と一人暮らしをしていたのですが、一人
暮らしのくせに鍋とかつついてる暇あんのか。そんな一緒に
鍋つつくような彼女とかいたのか?あん?

とか詰問されますと、黙って頭を下げるしかないのですが、
むしろ鍋は一人暮らしの味方である。と言う言い方も出来る。

別に一人用の鍋を持っていたわけではありませんが、大体ですね、
一ヶ月の収入と言うのは大学時代も社会人時代も決まっている
わけですね。

で、食費は大体大雑把に、例えば一日千円で済ませるとすると
一ヶ月三万円ですよ。だから朝はパン二個、昼は学食にてMG
ランチ(350円)、夕ご飯は贈ってもらった米を炊いておかずに何か
買ってくる。とかするともう千円になってしまうわけです。

それがどうだろうか。

貧乏学生四人ほど集まってですね、一人五百円ほど出し合う。
するとそこそこ肉やらなんやらを買い揃えることが出来まして、少し
だけ気分的に豪華な鍋をすることが出来る。友達と食べるので気分
もいいですし、なんか少し贅沢した気分になれるし、何よりコンビニ
弁当よりも温かいわけです。これがいい。

そういう意味でですね、鍋は一人暮らしの味方。
そういうことが言えると思うんですよ。

僕等大体鍋メンバーは決まっていたんですけど、一人三百円ずつ出して
美味しい鍋は出来ないかと悩みましてね。いろいろ試してみました。
あまり下ごしらえが大変なのは避けたいし。

で、たどり着いたのが。

1.鍋に日本酒をはり、沸かす。
大体僕の部屋には、飲み会の飲み残しの日本酒が転がっていたので、
これを有効利用できないかと考えました。

2.アルコール分が飛んだら、うまみの出る豚肉と当時安かった白菜を
ごそっと放り込む。

3.煮えたら醤油や塩で適当に味を整え、ポン酢や焼肉のたれにて食す。


これね。
もう簡単ですよ。安いし旨い。

当時の僕の住所から「中百舌鳥鍋」とみんなで名づけていたのですが、これが
冬の間の僕らの主食でした。つかどれほど僕の部屋に集まっているのか。

で、その日も。
中百舌鳥鍋をやろうと、僕の部屋に友人達と帰ったんですよね。

興味のある方はどうぞ。

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カテゴリ:昔話 | 11:15 | comments(3) | trackbacks(0) | - | - |
My brand new Eden。

時代を先どるニューパワー!と言う名言もありましたが。

僕、割と時代を先どってたと思うんですよね。

ユニクロなんて、今は普通ににぎわってるじゃないですか。
カラフルフリースで注目されたりして、今や着てても全然
問題ないじゃないですか。

僕なんか、大学一年の頃ですからもう十何年前ですよ。
その頃からと言いますか、その当時はユニクロオンリーと
言って過言ではなかった。

僕のファッションセンスと言ったらまあ酷くて、江戸川なんたら
とか言うメガネかけて蝶ネクタイの子供が居たら、

「蘭ねえちゃん、何であの人パジャマみたいな服着てるの
かなあ?」

なんて言われておかしくないぐらい、普通にスウェット上下で、
言うなればハンドボールのGKそのものと言う姿で大学に通って
いたんですよね、まあ僕茶道部だったんですけど。

友達からも、「コイツのファッションはちょっとした事件だ」的な
扱いを受けていたらしいのですが、そいつらが見るに見かねて
一緒に服を選んであげるから、お金を持ってきなさいと言うんですね。

僕もまあ服に気を使わずに、大阪のアメリカ村って若者のファッション
の発信地みたいなイカした場所があるんですけど、そこに言われるが
ままに出向いたんですよ。

友達がいくら持ってきたんだと僕の財布みたんですけど、財布の
中身もちょっとした事件だったようなんですよね。だって洋服にそんなに
お金使わないよ。日々ちゃんとした食事を取る方が大事だよ。

で、紹介してくれたリーズナブルなショップがユニクロだったわけなん
ですよね。

コレならば、ちょっとした大学生らしい格好が、割とリーズナブルな
お値段、お求め安いお値段で実現できると言うことで、こりゃいいやと
愛用してたわけなんですが、僕が大学生だった当時はですね。

なんか、紺のブレザーだったりとか、ジーパンより綿パンだったりとか。
今のナウなヤングだったらトレンディとか言うんですかね。
そういう格好が流行ってた時代なんですが、僕の大学は小金もちの
息子が多くて、そいつらは上から目線で

「もっといい服着たら?」

みたいな事を言うんですよね。
親から仕送りしてもらっててそんなもの買えないですよ。
ふざけんなよな。とか言いながら、ファッションセンス皆無の皆で
愚痴りながら、信長の野望とかやってた。モテなかった。

それが今やどうでしょうか。
ファーストリテイリングは上場も果たし、不況でも勝ち組!的な扱いを
され、今やユニクロはブランドとして認知されている感があります。

ユニクロにかなり早い段階で着眼した若者は、僕だったと言っても過言
ではないのではないか。いや、言いすぎた。

他にもあるんです。

草食系男子とか言うじゃないですか。

あれ、僕もう大学時代に言われてたからね。男子とは言わなかったが。
何を今更って感じなんですよね。

大学時代、僕は茶道部、のち柔道部に入っていたんですけど。

飲み会とかありますと、ほら、女子が泥酔したりするんですよね。
大変じゃないですか、女の子が前後不覚に陥ってたりしますと。
なんか、セクシャルな事件も起こりがちですからね。捨て置けない。
やれ送っていくわーとか、うちで休んでいけへん?とか、人間の深層を
みるようなことが起こるじゃないですか。

もうね、その子送っていけとか、家に泊めてやれとか、先輩から指示
されるのが完膚なきまでに僕なんですよね。

一度あまりに不思議なので、先輩に尋ねてみたんですよね。

そしたら、

「お前草食やから大丈夫や。信頼とかなんとかじゃなくてな。
お前にはそういうことはできん

とか、大学生なのにどことなく中尾彬の面影をたたえた先輩が言うわけ
ですよ。
何で断言するんですか。あなたが僕の何を知っていると言うのですか。
できん。とか言うなよ。俺だって男やでえと。

まあ、やでえとか言いながら、同じ部の女の子が家に泊まるときには
なんか家明け渡して僕がサウナに泊まったりとかですね、そういうことを
してましたけれども。先輩良く分かっていらっしゃる。お見事。

帰宅してなんか寝床一面えらいことになったまま、無人になっている部屋を
見たときの虚無感とか、もう汚したまま帰ってやがるもんですから、それを
掃除するときの喪失感とかね。そういうものは後世に伝えなければいけないと
思う。語り継がなければいけないと思う。

まあそういうわけでね。
草食系男子ももう筋金入りなんですよね。
ここ数年言われてるひよっこどもとはどう考えても年季が違う。
草食系男子とか、僕を差し置いて名乗るな。
そう言ってもいいと思う。

あと歴女とか言われる歴史マニアの女性とか、仏像ファンの女性とか多い
らしいですけど、僕なんか大学時代から歴史好きで一人で寺社仏閣とか
巡ってましたし、仏像も見まくってたわけですよ。
何を今頃注目してんだと。

そういうわけで。
これらの事実から、僕は大学時代にいろんなブームを先どって居たといいます
のは、もう確定的に明らかであると言えると思うんですよ。

つか。
…どんな大学時代やねんな。

そんなことばっかしてるからモテなかったナリよー!。・゚・(つД`)・゚・。

カテゴリ:昔話 | 21:51 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
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